卒業式
お疲れ様でした。
このブログの存在を思い出した
その際、各所への登録メアド変更のためにメールボックスを見返していたらはてなブログからの通知メールを発見しタイトルに至った次第である。
思い出しついでに過去のブログを眺めていたら、去年の夏ごろに映画の感想を書くと言ってまだ書いていなかったので、自分を嘘つきにしないためにそれを書く。
執筆を宣言していたのは以下の3本。もう記憶も薄れているので手短に済ませる。
・劇場版ポケットモンスター みんなの物語
・実写BLEACH
面白かった。前作で成長しているサトシは安心して見ていられ、魅力的なサブキャラ達の苦悩と成長を見守ることに専念できた。
実写BLEACH
これは自分が原作とアニメのBLEACHが大好きなせいも過分にあるが、そこそこキツかった印象。特に白哉と浦原さん辺りはアニメに寄せにきてる感じが見ていられなかった記憶がある。石田の存在意義も感じられなかった。ルキアと一護は違和感が少なかったのが救い。
多分BLEACH知らない人は面白いと思う。
終始くんちゃんにイラついてた記憶。子供好きな人とか小さいきょうだいがいる人は面白いんだろう。
以上、あくまで個人のうっすらとした記憶での感想であります。
今後も思い出したら何か書こうかな。
映画を何本か観てきた感想①(ジュラシックワールド炎の王国)
酷暑の候、皆様はいかがお過ごしでしょうか。私はエアコンを毎日フルタイム+残業させて凌いでいます。家電界に労基が無くてありがたいです。
さて、そんな中日ドラゴンズ又吉の如きエアコンの酷使を抑えるべく、というわけでもありませんが、ここ一週間は頻繁に外出していました。もちろん暑いのは嫌なので涼しい所へです。そう、映画館ですね。記事タイトルで分かっていたとは思いますが。
ここ一週間で4本の映画を観ました。
・ジュラシックワールド 炎の王国(字幕)
・劇場版ポケットモンスター みんなの物語
・実写BLEACH
以上のラインナップです。順番に感想を書いていきます。
今回はジュラシックワールド。
ばっこりネタバレするんでネタバレを全く観たくない映画がある人はその部分は飛ばすかブラウザバックをおすすめします
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感想
ジュラシックワールド 炎の王国(字幕)
いきなり嵐の中で小さな潜水艇で何かを探す二人の男と、地上から支援する部隊が映る。どうやらジュラシックワールド跡地のようだ。
「何をビビってんだ、ここは死の島だぞ」
と、潜水艇の男の一人が相方に言う。廃墟と化したからと言って恐竜がいないわけではないので、何も根拠のない気休めである。実際、この発言の直後に巨大な黒い影が彼らの頭上を通り過ぎ、その後の運命を予感させた。
潜水艇は無事にお目当てのインドミナスレックスの骨を見つけ切り取り浮上させる。そして彼らの役目は終わった。いや、弱き命として最後の役目だったのかもしれない。案の定モササウルスに潜水艇ごと一口でいただかれた。
その後は地上部隊も若干の被害を出しつつインドミナスレックスの一部は無事に送り届けられ、物語が始まる。
ここからはいつものジュラシックパークといった感じで(ロストワールドのオマージュ?)嫌がる主人公(オーウェン)が女性のために渋々出かけたら乱暴な別の部隊とゴタゴタがありつつ命からがら逃げ帰った。その際にブルーを助けるためティラノサウルスから輸血用血液を採取するシーンは迫力満点だった。ジュラシックワールド跡地は火山の噴火で滅んだ。
連れてこられた恐竜たちはオークションにかけられ、お馴染みウー博士がインドミナスレックスのDNAを使い造った新種インドラプトル(名前がダサい)が余興としてお披露目される。非売品とは言ったものの客は大盛り上がりで入札を始め、主催側も金に目が眩んで売っちゃう。アホ。ウー博士は調整中だからと止めてた。
で、まあ案の定インドラプトルは檻から逃げ出して大混乱と。オーウェンたちが頑張ってインドラプトルを殺して助かる。
んで、毒ガスが充満して檻の中の恐竜たちが死にそうで助けるためには檻から解き放つしかないが、本土なので解き放ったら世界が大変なことになるという葛藤。
そんでクローンの少女が同じく造られた恐竜たちを人類の世界に解き放ち、人類と恐竜は同じ世界で生きていくことになる、というエンド。
ラストシーンでオーウェンがブルーに安全な場所で共に暮らそうと誘うがブルーは断りどこかに走り去っていく。
第一作から続く「人間のエゴで現代に蘇らされた恐竜たち」と「人間」の関係の着地点としては最も良かったと思う。
でも終わり以外は正直面白くなかったかなー。恐竜の迫力はすごかったけどそれだけで、ストーリーは単調だった印象。「懲りないなー」「アホだなー」「えぇ……」が感想の8~9割。
「炎の王国」の原題は「Fallen Kingdam」で、直訳だと「堕ちた王国」とでもなるだろうか。映画の前半部分でジュラシックワールドが火山の噴火によって死滅したこと、人類の支配する王国が堕ち、人類と恐竜の世界に変わったことを表すサブタイトルだと思うが、「炎の王国」では後者のニュアンスをあまり入れられていないと感じた。
総合的には良かったかなと思う。レディプレイヤー1とは逆に途中イマイチでも終わり方が良かったから。レディプレは終わり方で95点からマイナス300万点って感じだった。
チョコミントは歯磨き粉じゃねえんだよという話
僕はチョコミントアイスが好きだ。
今わざわざチョコミント「アイス」と書いた。何故なら、チョコミント味の商品はアイス以外あまり美味しくないと思っているからだ。
最近、コンビニで買い物をしているとチョコミント系のお菓子がよく目につく。チョコやシュークリームやその他諸々だ。いちチョコミン党としては試さねばならぬと思い全て購入したことがある。結果は散々で、どれ一つとして美味しくは食べられなかった。もちろんアイスもそれ以外のチョコミント菓子も好きという人もいるだろうし、アイスはダメだけどそれ以外の商品が好きという人もいると思う。
何が言いたいかというと、単にチョコミント好きと言ってもその内訳は様々であって十把一絡げに出来るものではないということ。
しかし、チョコミント好き共通の敵がいる。それは、
「チョコミントとか歯磨き粉じゃんw」
である。ぶっ殺すぞ!
僕の短い人生での経験からの話になるが、友人数名とアイスを買う時にチョコミントを選ぶと必ずと言っていいほど先述のセリフを言う者が現れる。メンバーが違ってもそうだ。昨季から2クール連続放送中のアニメ「刀使ノ巫女」でもチョコミント好きを公言する十条姫和というキャラクターが同じことを言われ弄られるシーンがある。
もし僕や十条姫和がバニラ味のアイスを選んでいたら、彼/彼女らは「バニラとかキャスター(バニラフレーバーの煙草)じゃんw」と難癖をつけてくるだろうか?否である。これは
・例えの伝わりやすさ
・バニラはアイスの味として王道の立ち位置であり、チョコミントは少数派であるということ
等の原因が考えられるが、それは些末なことだ。
原因が何であれ、つまるところ、「チョコミントは弄ってもいい」という差別的な無意識が人々の中にある。むしろ「チョコミントを見たら歯磨き粉弄りをする」という概念が刷り込まれていると言っていい。
これは差別だ。
性別肌の色宗教職業その他諸々に行われる理不尽な差別と同じものである。
大した理由もなく「少数派だから」「みんな言ってるから」と他人の嗜好を貶める行為、それが差別でなくなんだというのだろう。
チョコミントを歯磨き粉呼ばわりする者へ、お前やお前の愛する人は爪先から頭のてっぺんまで全て多数派で隙のない平均的な人間なのかと問いたい。
人はそれぞれ違って個性がある。そんな幼稚園生でも分かることを忘れていないか?自分の思う普通と違うものを排斥していった先に何が残る?きっと自分すら残らない。
偏見や先入観を持つなとは言わない。何故ならそれはそれまでの人生の中で培ってきた経験によるものであって、勘として身を助けてくれることもあるだろう。
別に自分と違うものを全て理解する必要はない。「自分には理解できないもの」だと理解すればいいだけだ。「自分とは違うけどそういうこともあるか」この思いを持つだけでどれほど世界は平和になるだろう。
「だったら歯磨き粉呼ばわりされようがブログでグチグチ書いてないでそういう考えもあるかで流せよ」って?ムカつくもんはムカつくんじゃ!殺すぞ!自分の好きなものを攻撃されたら守るために戦う必要がある時もあると僕は思う。
この世の全てのものの価値は全人類にとってイコールではないから優先順位をつける必要に迫られることもある。それでもなるべく誰かの大事なものを否定せずに互いに尊重し合って生きることを僕はこの世界に提案したい。
チョコミントは歯磨き粉とか言ってる奴は死ね~~~~~~!!!!!!じゃあ君の歯磨き粉はチョコミント味なんですか~~~~違うなら死んでくださ~いはい死亡ーーーーーー!!!!!!チョコミントでシャンプーしてハゲろ馬鹿
エントリーシートを書かずブログを書く男。
友達が始めたからという理由でブログを開設した。正直ブログに書くようなことも大して思いつかないけど、得てして物事のきっかけっていうのはそういうものだと思う。初めは大したことのない理由でも、続けていくと新しい魅力が発見できて、新しい好きが生まれる。
だから僕は新しい出会いを大切にしている。興味が湧いたら自ら確かめる。誰かから作品を薦められたら読む/視聴する。世間で話題になっているものをとりあえずチェックする。
そうした出会いは今後の人生に大きく影響するかもしれないし、大して影響しないかもしれない。それどころか悪い結果に終わるかもしれない。
ただ一つ言えるのは、何か動かなければ「かもしれない」すら生まれないということ。どんなに小さな一歩でも、踏み出せば今までとは違う場所に立てる。違う景色が見える。そうして行きたい場所を見付けられた時、走り出せばいい。進み続けるだけでいい。止まんねえ限り道は続く……!俺は止まんねえからよ、お前らが止まんねえ限りその先に俺はいるぞ!だからよ……止まるんじゃねえぞ……!
要はエントリーシートに志望動機書かせるのやめてくれ~!!!!!あるいは「なんとなく」で勘弁してくれーーーーーーー入社したら頑張るから……。